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犬と猫 (たけし編Ⅱ)
「猫は家に付く」といいますが、たけしほど引越しをした猫は少ないと
思います(^^; 何箇所じゃなくて何十・・・でした。
目がなかったせいで対応できたのかもしれないけれど、逆に場所が
変わると、たけしにとってはせっかく覚えた臭いや物との距離感が全て
かわっちゃうわけで、今でも可愛そうなことをしたな・・・と思っています。
でも、人間が思っているほど猫はヤワじゃないとわかったのもたけしを
飼ってわかりました。脱走するわ、そのまま迷子になるわ、車に箱乗り
するわ・・・・(笑) そういうところは普通以上の猫でしたね。

僕らが貧乏な頃、お金がないのでよくぼろぼろの車に猫と一緒に乗って
ドライブに行きました。
僕のジャンパーの中にすっぽり包まれ、ほんと、どこへでもいったな~。
車に平気で乗る猫って「当たり猫」ですよね!?

ロフト付のアパートに住んでいたのだけど、上の階に昇るにはハシゴを
昇らなきゃいけませんでした。でも、そんなのまるでおもちゃのように
体をくねらせながら平気で上り下りして、「こいつ本当は見えてるんじゃ
ないの?」と疑うことしばしばでした(笑)

猫のいいところは、あのくねくねした柔らかさと愛らしさですよね。
悪いところは、そっけないところ。でも僕は猫のそういう部分もなぜか
好きでした。変な言い回しだけれど、たけしは犬と猫を掛け合わせた
ような動物だったとおもいます。だから余計に好きになれたのかも。

お互いそろそろ大人になり、それぞれの実家に戻った時があったのですが
基本的に溺愛していた僕は家で引き取り、その頃飼っていた犬(マミ)と
同居するようになります。たけしは猫として全盛期(体重9㌔(笑)) 
多分、目が見えていたら、そこらの野良を束ねるボスになっていたんじゃ
ないかと思えるような風貌にまでなりました。(写真参照(笑))
その頃のマミはもう老犬で、歩くのがやっとという感じでしたので
全くといってよい程トラブル等はなかったです。
コタツの中で重なるように一緒に寝ていたし、ボケたマミがたけしのことを
踏んづけても怒ってなかったな・・・・偶に猫パンチしてたけど(笑)
夜はそれこそ「川の字」になって寝、毛だらけの布団で鍛えられた僕は
お陰さまで喘息とか花粉症とかいう現代病にはなりませんでした(笑)
でも、ダーク系の洋服を全く着れなかったのはつらかったけど(笑)

結婚し、また三人で暮らすようになるわけですが、気合入れて建てた家も
拘って買った家具も半年でボロボロにされてしまいました(^^;
壁のクロス及び革のソファーは、日々爪とぎの被害に遭い、半年で
10年物に変わり果てました・・・・
憧れて付けたロフトの天窓も、たけしの格好の脱出経路と化し、
閉め忘れたら最後、消防署を呼ぶような大騒ぎとなりました(笑)
(目が見えないので戻れない・・・・)

そんな平穏な黄金期を3年程度過ごした後、たけしにとって最悪の
ライバル「黒い悪魔」がうちにやってくることになります。
「黒い悪魔」=犬のはな です(笑)



黄昏はじめた老猫とバリバリのアホ犬。
最初こそバリバリに喧嘩しておりましたが、賢いたけしが一歩引いてくれる
ようになり、カオス的な平和が成立します(笑)
でも、動物の順応性って凄いですよね。僕だったらあんな奴が引っ越して
きたら家出してるもの・・・(笑) たけしは偉かった!!

最初の手術とたま金取り(去勢)以外は全く病院にいくことがなかった
奇跡の猫たけしにも、いよいよ病魔が襲い掛かってきます。

どこかの臓器が機能しなくなり、うんちが化石のように硬くなっていきます。
最初は便秘ということで、後ろから応援していたのだけれど、最後は僕が
手伝ってあげないとできなくなってしまいました。
そのうち、全体的に悪くなり、制御する注射を打たないと生きていけなくなり
ます。体に水分を保持できなくなる病気でした。
最初の症状が出てから約二年後、たけしも天寿を全うし逝ってしまうわけ
ですが、その生命力は凄かったです・・・。お医者さんも一度も安楽死の
ことを口に出さなかったし(絶対しなかったけど) 驚いていたと思います。
けど、注射代一回15000円は痛かった(^^; 最初は月に一回程度だった
ので、さして気にしなかったのですが、それが半月に一回、一週間に一回
最後には3日程度にまでなりましたからね・・・。驚くべき医療費になりました。
けど、最後まで餌を食べようとしているたけしの姿をみていると、そんなこと
どうでもいいや、と思いました。
最後のこの時期のことは、今でも昨日のように思い出せます。

いや、ほんと良い猫でした。また飼いたいな~<たけし
最近もよく夢に出てくるし、そろそろネオたけしに出会えるかもですね(^^;

さて、次節は現役爆裂娘コーギー犬「はな」をご紹介致します(笑)

まだ酔ってないですよ(^^; ヒィック♪

To be continued
by nexus-blog | 2005-06-20 02:48 | Animal
犬と猫 (たけし編Ⅰ)
たけしを拾ったのはちょうど20年前の体育の日。えれぇ~年取ったな(^^;
貧乏だが暇はあるという若き日、皆さんにもあったと思います(笑)

その頃の大体のデート!?のパターンは、家が近所だったため
どっかで食べ物を買って車の中で駄弁るというパターンでした。
その日は「モスバーガー」今でも忘れません(笑)
テイクアウトして、いつもの白子川という近所のドブ川の川辺縁に車を止め
「さぁ~食べるか」となった時、彼女が「みゃ~」いう声が聞こえたと言い出す。
チリドックを頬張る僕には聞こえるはずもなく、最初はシカトしていたのですが
「聞こえる 聞こえる」とうるさいので、降りて確認しに行きました。
確かに聞こえる・・・・でもどこからだ!? 夜で暗闇だし確認できません。

ん!? 微かな泣き声を辿ると、な なんとドブ川の中洲から聞こえるじゃ
ありませんか・・・。嫌な予感・・・・
ドブ川といっても都会独特の深さ4メートルくらいの立派な河川壁に囲まれた
川なので、物理的に無理!!と即座に瞬間的に判断しました。

んが、当然の如く「あなたはそれでも人間か!余計に助けるべきじゃないか」
と物語る無言の視線に、はいはいわかりましたよ・・・と可能性を探り出す。
幸い、ドブ川でも源流近くだったので(本当ですよ)所々に土がでている
場所を発見、何とか僕の背なら降りれるかもとチャレンジする。
無事降りれると、そこまで死なないように行けるかが問題であったの
ですが(笑)、ひざまでズブズブと潜る程度で無事にたどり着く。
当然泣き声からして猫だったのだけど、手のひらに乗るサイズの超Jr。
取り急ぎ自分が沈まないようにゲットして慌てて戻る(笑)

車の中に抱えて戻り、一瞬二人とも沈黙する「・・・・」
まず、ノミが凄い! 手のひらサイズの猫に100匹はゆうにいるだろう
密度で這っている・・・・。
あと目。両目とも怪我をしている!?らしく開かないみたいでしかも膿が
でているのがわかる。
「こりゃひどい・・・もう無理だよ 助からない」という僕の言葉にひるまず
とりあえず、ママさんが実家に持ち帰ることに。

そこでシャンプーをしてもらい翌日には綺麗になっていたのですが
如何せん、あんな場所に何日いたかも知れず、目もひどい状態なので
学校を休んで獣医さんのところへいってみることに。

斯く斯く云々と経緯を説明すると、僕がおもった通り、安楽死を薦める。
「多分、生後一ヶ月前後だろうけれど、両目ともすぐに摘出しなきゃだめ
だし、あと膿がどの程度まで体に回ってしまっているかもわからないので
たとえ摘出に成功しても、生きて行ける可能性はほぼ0に近い」と
ストレートにいわれる。うんうん そうだそうだと僕は無責任に同意する。
とても薄情な奴(^^;
んが、ここでもママさんが「それはできない」といって取りあえず手術し
経過を見ることに。手術といっても麻酔もなしにただ取るだけの惨いもの
でした。僕は立ち会ったけれど、こういう時には絶対いません(笑)<マ

手術は無事に成功。
さてどうするか。前後を考えていないアホな若者が二人(笑)
ママさんの実家は父が動物が駄目で飼えそうもない。
僕の家も当時犬を飼っていたので無理っぽいという雰囲気でした。
結局、その時は一人住まいをしている友人に頼み引き取ってもらうことに。

何週間か経ち、気になるので様子を見に行くと、友人は留守だった。
けど、鍵を掛ける奴ではないので(笑)部屋に入って様子をみる。
とりあえず元気そうだ。ただ、男の一人暮らしに猫。衛生状態はひどい
のひとこと(笑)悪いけれど(笑) そんな状況を見て持って帰りました(笑)
それからあっちこっちと引っ越したあと(猫)僕らが一緒に住むことを機会に
育てることになりました。というか、この猫がそうさせたといってもいいかも
しれません(笑)

猫の名前はたけし。
その時、二人ともオールナイトニッポンのビートたけしのファンだったので
「たけし」となりました(笑) 今でもやってるのかな?<オールナイトニッポン

こうやって後先考えないふたりと目のない猫の旅がはじまりました。
たけしは医者の予想をぶっ飛ばし(笑)すくすくとデブ猫に成長していきます。
目なんかいらないと無言で主張するように・・・




To be continued
by nexus-blog | 2005-06-19 23:07 | Animal
犬と猫
おやじ独特の長い話が続きましたので、ちょっと癒しましょうか(^^;

よく僕のトークの中に、今飼っている(飼われている!?(笑))
犬の「はな」のことがでてきます。(コーギー犬の豚じゃなくてメスです)
僕の今までの人生は動物とは切っても切れない関係で成り立っていて
物心ついた頃から、毛がはえた生き物と一緒に寝ております(^^;

犬・犬&猫・犬・・・と、どの子達もみんな長生きしてくれたので、
そんなに頭数は飼っていませんが、途切れたことはないですね。

世の中、犬派、猫派とあるみたいですが、僕はどっちも派で、3年前に
他界した猫の「たけし」がいなくなってから、そろそろ猫免疫が切れ
掛かっております(笑) 捨て猫見たら危ないです・・・。
今飼っているはながあほ犬なので、極力我慢するように心がけて
いるのだけれど(老猫たけしをいじめてた経緯があるため)、
散歩の途中なんかに懐っこい猫がいると「あぁ 猫だ」(笑)となって
我を忘れてしまいます。猫いいなぁ~ いや、我慢だとかいって(笑)

最初に飼っていたのは親がどこからかもらってきた、マルチーズと
チワワのミックスでなんと17年生きました。幼少から青年時代はずっと
この犬と寝ていましたね。今思うと僕も子供だったからちょっとうざった
がられていた気もするけど(笑)可愛かった。
大きな病気もせず、大往生だったのでよかったけど、はじめて身近な
死を体験したときでもありました。猫のたけしがダブっていたので
思いっきりペットロスには至らなかったけど、なんか間が抜けちゃって
その後暫く変な感じがしました。

猫の「たけし」。ぼく(ら)の青春時代を写す猫でした。※(ら)はママさん
色々エピソードがあるので明日からまた連載いたします(笑)
(またか!?このおやじ(笑)・・・いや、今回はかるいワインでいくから♪
平気、平気!!)

車の話題ではないので、興味のない方は退屈だと思いますので
金曜日頃にでもご来店ください(笑) なんちゅう店だ・・・
by nexus-blog | 2005-06-18 23:12 | Animal
昨日、ネクサスという喫茶店でNOMOについて語ってしまいました(^^;
以後、こういう話はここでするといっていたのに、アル中は困りますね(笑)
なんか知らない人にわからない麻雀用語まで飛び出すし・・・
ちなみに仕入れした日に売れた車のことを天和(てんほう)
3日以内で売れた場合は地和(ちいほう)といいます♪ 
(まだいうか・・・このよっぱ(笑))
ちなみにもう何十年も麻雀はやってませんが(笑)

侍という言葉は外国人の人が日本人の粋な人に対してよく使いますよね。
表現している意味は、正しくは「サムライ」であり、もっと正確に言うとひとり
で肩で風を切り乗り込んでくる(又は挑戦する)人となると思います。
そういった意味では野茂選手はサムライそのものだとおもうし、アメリカ人
なんかには「刀」が重なって映るのでしょうね。
じゃあ、イチローや松井もそうなのかといえば、全く違うと思っています。
最初から日本を代表する選手として「VIP」扱いだったし、国賓みたいな
扱いを受けていますよね。果たして野茂みたいな扱いを受けたらどうなる
のか観てみたいなとおもっとりますが(笑)如何なものでしょうか!?
多分、ナベツネさんやらがてできて許さないでしょうね・・・。

別に僕はイチローや松井が嫌いなのではなく、どちらかといえば好きです。
イチローの理論は凄いと思うし、松井の忍耐力や言い訳をしないところ
なんかは「日本男児の理想像」ですよね(^^; 素直に格好良いとおもって
ます。でも「サムライ」じゃないですよね。 何が言いたい!?(笑)

いや・・・世界も変わってきたなと(笑)
今までは日本人像としてスーツ姿で何人かでつるんでいつも相談している
というコケにされたイメージでよく映画とかに出てきたわけじゃないですか。
社会が成熟するにつれ、「集団」から「個」にシフトしていってる過渡期だな
と痛感させてくれるのがプロスポーツの世界ですよね。
凄い勢いで海外に挑戦して行っているし、結果も出している。
ゴルフやサッカーもそうだと思うし、僕の知らない世界でも凄いスピードで
世界を目指しているのだと思います。
企業も過去のバッシングを反省して、現地と同化して事業を発展させると
いう方法を既に体得し、勝ち組は栄光を受けていますよね。
政治だけはいまだとんちんかんな手法をとってるとおもいますけど・・・・

でも、必ずその風穴を開ける人がいてこれらは今に至っているということを
僕らは忘れちゃいけないんじゃないかと思うわけです。
世界からコケにされなくなってきたのも、こういうサムライがいるんだと
知らしめてくれた結果の積み重ねだとおもうから。

だから、おっさん。何が言いたい!?(笑)
え~だからおじさんは野茂にちゃんと国として敬意を示せといってるんです。
なんか、話が膨らんじゃったけど(笑)それが酔っ払いってもんだ!(笑)
最後に何を言いたいか覚えただけでも、俺はすごいんだぞ♪っと(笑)

ジンはだめだ・・・・呂律が回らなくなる。これからビールだ!暑いし!(笑)
by nexus-blog | 2005-06-17 23:55 | Others
roots (あとがき)
なんか突発的にはじめてしまった「roots」
そこまでいうか・・・というところまで告白したりして、
本人よりも周りが心配しております(^^;

酔っ払いに何言おうが止まらないって!?(笑)
目すわってるし・・・ 
(ちなみに僕は殆ど酒は飲みません。飲めといわれればザルだけど)

酒の力を借りて告白というのはおいといて(笑)、なぜ言いたくない
ことまで告白したのかというと、ストレートにいうと勘違いをされたく
なかったからです。色々な意味で。

ネクサスってどんなやつがやってるの?カーキチ出身?
車だけ愛しているやつなのかな~?ボンボンの道楽? 
善人面してるけどほんとは商売根性ありすぎなだけ? 等々・・・(笑)
HPを観ている人には今まで色々な想像がなされていたと思います。

実は、極々平凡なやつが営んでいて、不器用といわれてもいいほど
蹴躓きながら今に至っているのだということを知ってもらいたいと
常々思っていました。
車が大好きで大好きで商売にした人ではないということを・・・。

僕はどちらかというと、皆様と同じ視点で車たちを見ていると思います。
ただ、色々な視点でみているので結果として濃さは違うと思うけれど。

輸入車が国産車に比べ際立って優れているとも思わないし、
逆に国産車の方がすばらしいとも思っていません。
色々な背景をもった人達が、自分にあった車を選べたとおもった時、
それが最高なのであって、たとえそれが軽自動車でもメルセデスでも
その人にとって同じ効力を発揮するものじゃないかと思っています。

今現在、ネクサスは輸入車に特化して営んでいますが、それは単に
表現する材料または素材として適切だからとおもっているからです。
また輸入車は世界一といわれる国産車をもっている日本人にまだまだ
色々な意味で偏見をもたれているとおもうから・・・。
生活ベースで未知の世界を体験しようとすることはとてもとても勇気が
いることだと思います。その恐怖を少しでも取り除けたら・・・。
コピー大国といわれたわが国ですが、今はコピーされまくって困って
いますよね。でもそれはハードな部分であってソフトな部分をコピー
しようとする国や人があるだろうか・・・・。
色々な価値観があり、それを認め、選択する。

それができて初めて一人前だろ~?そうおもわねーか!にーちゃん!(笑)
俺はそう思ってんだよ ばかやろ~ ヒィック オェ~  (^^;

いっちょまえのこといってすいません(笑)

rootsでは殆どを省略して幹の部分だけ断片的に告白したつもりです。
本当は枝葉の部分の方がたくさん面白い話があるのですが、それを
いうとお面をかぶらないと生きていけなくなるのでやめました(^^;(笑)

これからちょぼちょぼと酒が入り、気持ち~え~な~となったとき、
断片的に告白するかもしれませんので、偶には飲みに来て下さい(^^

あとがき?これって(笑)
by nexus-blog | 2005-06-16 00:31 | Roots
roots (変革)
発祥当時、ネクサスはどちらかというとレア物ビンテージ調
一直線だったかもしれません。
自分ではあまり意識していなかったけど(^^;
外車といわれる輸入車の全盛期は88年頃、ちょうどバブルという
時期に発しているとおもいます。それでも、まだまだ我ら庶民には
縁遠い車という感覚だったとおもいます。
僕はバリバリ庶民でしたので(笑)そういう特権的、又は階級的な
外車の展開が本能的に嫌いだったのだとおもいます。今振り返ると。
だから興味をもった輸入車でも、自然と味のあるビンテージ系に傾き
表現しようとしていました。

ただ、同時に数年経った頃、限界にも気付きます。
いくら頑張って納車整備をしても、全てをまかなえるわけではありません。
車及び部品自体の信頼性も、今の車と比べると天と地ほどレベルが違う
ので、お金を掛けないでイケてる車に乗り続けるのは限界がありました。
それでもネクサスは儲けを度外視してでも販売する車に対してはお金を
掛けていたので、大事に至った故障というのは極々僅かだったとおもい
ます。でもあとからそれらの報告を聞いたとき、マイナーなことでも
とても胸が痛みました・・・。今でも物凄く痛むけど(^^;

バブルと平行して歩んできたネクサスにも、やっとチャンスが訪れて
きます。平気で「はぁ はぁ!?」というような価格をしていた輸入車達が
中古として出回り、価格がこなれてきたわけです。
所謂、「輸入車」というような車には、どこかで書いたように興味がなかっ
たので、視野に入れていたのは小型のスポーツ系の車です。
VWで言えばゴルフGTI(Ⅱ)、シロッコGTIなどBMWで言えば3シリーズ
のMテクニックなどでした。

それでも当時はゴルフGTI 258万円!っていうのが普通でしたから(笑)
今おもうと凄い時代だったな~とおもいます。

工場の血生臭い事件が起こる二年前くらいから、この系統に在庫車を
変革していきます。もちろん、同時にビンテージもやっていましたが、
割合は半々、7対3くらいで当時の今系のものを入れ替えていきました。
でも、如何せん軍資金が少なかったので運営していくのは非常に大変
だったのを覚えています。いつも金ね~金ね~とかいってましたもの(笑)

段階的にシフトしていき、やっと目処がつき始めた頃、事件。
この頃は主力がVWでいうとゴルフⅢ・コラードなど、BMWはE36系に
なっていたかな・・・。初代M3とかもちょうどバリバリにやっていたころ
ですね。楽しかった(^^ 好きなビンテージも混じっていたので、
とりあえず創業時のイメージに近づいていたかもしれません。
楽しいはずだわな(笑) 殆ど無一文ではじめた事業ですからね・・・。

事件時、事件中はこの系統の価格の高落やファインチューンしたものを
扱っていたとおもいます。COXもよくやったし、M系のものを3・5シリーズ
で展開していました。

ネクサスに対しての事件の影響は、ビンテージ物を扱えなくなったこと
でしょうか。時間と場所と手間とメカニックの腕が必要な事業体のため、
中途半端に展開すると皆様にご迷惑を掛けると思ったためです。
それ以外は変革を殆ど完了させていたため、影響はおもったほどあり
ませんでした。ないよりあったほうが便利だったけれど<工場

事件終了後、「よっしゃ~ これからやったるで~」とおもったけれど、
意外と体力を消耗(軍資金・体共々)していたので(笑)いまの路線に
乗せるまでは並じゃなく大変でしたね~(^^;
銀行とも喧嘩しちゃって、そのトラウマで避けるようになって付き合わなく
なったし・・・。喧嘩した勢いで関係ない融資まで返済しちゃったし(笑)

幸い共稼ぎだったので、暫くの間、僕の給与は全部ネクサスに返上し、
凌ぎます(笑) ほとぼりがさめた頃、銀行を通さないで国からちっょと
だけ借りて(断われると思ったら借りられた(笑)意外な融資)、今は
なんとか希望通りの展開ができるところまでに回復しました。
偶に、家の(ようはママさんの)口座から、そっと借りてM3なんか在庫
して、お金できたらそっと返したりしてますけど(笑)
良い車に出会うとチャンスはより少なくなりますから、いま運転資金が
あろうがなかろうが関係ありませんので大変です。
と、事情を話してもたまにばれて詐欺扱いされますが・・・(^^;(笑)

今、ネクサスはとても良い時だとおもっています。
各メーカーが次世代を睨んで、結構極端にモデルチェンジをしてきて
います。しかも全車種共通の形で・・・。。勝ち残るための戦略なので
仕方ないとおもいますが、昔感じた居心地の悪さをなんとなく僕は
感じています。
このモデルチェンジ前の車達は一種、アナログ時代から極めた車達
ばかりなので、暫くは魅力的なくるまがないということにはならないで
しょうが、アナログの弱点を克服した車を、よりデジタルにしていくとい
うことが、どういうことなのか・・・ そういった意味からすると五年後、
十年後は輸入車業界がどうなっているか全くわかりませんね。
「大人気空飛ぶM3が入庫しました。水平浮力は独自の磁気を使い」
なんてコメントしたくないですよね(^^;

デジタル化の進歩のおかげで、リスクなくアナログ感覚を味わえる
期間は「いま」だとおもいます。
そう信じてネクサスは展開していく予定です(^^

五夜連続が六夜連続になってしまいましたがお許しください(笑)
だから酔っ払いって話し長くて困るんですよね~繰り返すし(^^;

N’s Bar提供の初めての大河ドラマ(まだいうか)「roots」(缶珈琲?)
長々としょうもない話を見て頂いて有難う御座いましたm(_ _)m


- the end -
by nexus-blog | 2005-06-15 00:21 | Roots
roots (戦 Ⅱ)
倒産後、一ヶ月経過。
関係している人達が受け入れがたい事件を段々と「現実」として
受け止めはじめた頃、血族会社独特の保証人問題が続々と噴出
してきました。「汚い潰れ方」と前回書き込みましたが、主にこの
ような事柄を指します。単にバンザイしたのではなく、果てしなく
ビションのないことをして凌いだ結果、起こったことでした。
「ひど過ぎる・・・」日が経つほど、「無計画に何が起こっていたのか」が
わかってきます。違う世界の人達まで出入りします・・・。

父の死後、身代わりになって保証人になってしまった人達の被害を
最小限に済ませるように行動を起こします。
会社の無残さはさておき、意外と少なく済むのではないか・・・と
おもいだした頃、最後に呼ばれた銀行の支店長室で「は?」という
言葉を耳にします。
この辺からは余りにも血生臭い話になるのでほとんど割愛して前に
進むこととしますが(笑) ようは銀行にだまされちゃったわけです。

僕が全く関係ない立場にいたことは客観的にも証明されていたので
全く問題なかったのですが、戦Ⅰでお伝えした新規の融資が実は
僕に無断で行われ、それがとんでもないところで抵当に繋がっており
僕はいきなし筆頭被害者に躍り出てしまうことになります(^^;

90年代後半、未曾有の不景気で政府が音頭を取り、殆ど審査など
なしに無作為に「保証協会」という組織を担保に、中小企業に融資を
はじめた時期があります。無担保・無保証人が謳い文句だったこの
融資も、実は根抵当という担保が入っている場合は連動して担保に
入ってしまい、先のおいしいセールストークが無力化し、単に銀行の
おいしいリスクのない融資に早変わりしてしまうという難点がありまし
た。あとになってわかったことだけど。当時は結構、新聞を賑わした
案件なので知っている方は知っている事柄だと思います。

この融資が僕の知らないときに実行されていたわけです。
銀行の融資担当者も「僕は全く関係ないですね」といっていたわけ
ですが、すぐにそいつが単にアホで無知な行員だと判明します(笑)
父が入れていた生前の契約が、この「根」がつく抵当であったため
実はこの政府絡みの融資が、僕に直結するのだという説明が
支店長から入ります。「アホか・・・」最初はそのひとことでした。

そのことことが「本気なんだ」とわかったとき、戦が始まります。
誰がどう見ても銀行のミスでしょ・・・とおもう事柄も、いわゆる念書
一枚で全てが覆るように細工されていたわけです。
そのことをわかってか、銀行も示談をしようとしますが、全く僕は
意にそぐわない内容なのでしませんでした。
戦うことがどんなことか・・・大体は予想できたので日増しに良くなる
条件に一喜一憂し、揺れましたけど(^^; 薦める内容は結局リスクを
全て僕に押し付けるものでったので、最後まで「うん」といえず、
この案件は裁判にまで発展していきます。

弁護士さんなるものを紹介してもらい、タスキを巻くわけですが(笑)
その「理屈」のみの世界に、「常識」がこんなにも通用しないことに
最初にまず面をくらいます。
それから商売もそこそこに猛勉強(笑) 最後には弁護士さんにまで
うざったがられていましたからね(笑)

この戦の期間が約二年。事件の結論が出るまで三年強。
結局、裁判では負けちゃいました(^^; 家も手放しました。わぉっ♪
僕個人としては、まだまだ行けたのですが(笑) 家族、周りの方の
ことを考えると前を向かなきゃいけない頃合だったので、特攻隊の
準備だけは進めていたのですが、飛ばないことに。
切り替えて、飛躍することに方針を転換しました。

この事件は、それこそ本一冊書けるよ という濃さでした。
3年間以上、ジェットコースターに安全ベルトをまかないで乗っていた
みたいな気持ちでした。確かに勉強も一杯したし、逞しさも増し、後に
繋がる経験をしたということになるのかもしれないけれど、二度と
味わいたくない経験でしたね(^^;(笑)

違う世界の人とも渡り合ったし、霞ヶ関(裁判所)にも何度も行ったし、
六本木(弁護士事務所)には仕事の合間に週二度、2年間通ったし。
本当はど~んときちゃって立ち直るのにとてつもない時間が掛かる
ような事件だとおもうのですが、文中に(笑)←の文字が多数あるように
結構最後はあっけなく終わってしまいました(^^;

家がなくなるときは、もう既に家を建てていたし(笑)そういった意味では
周りにど顰蹙かう行動もとりましたが(もう少し落ち込めよという意味で)
当事者はな~んも悪いことをしたわけではないので、逆にやる気を出し
たのかもしれません。ちなみに、家を建てようといったのはママさんです
よ(^^;(※※家のためにこのまま終われるか!といって(笑))
僕の立場は最後の最後まで最悪爆死!?というものだったので、よし♪
家を建てようなんていえなかったです(笑) 言いたかったけど。

事件は不幸中の幸い(担保で全てまかなえた)という形で取りあえず
終わり、僕もネクサスに集中して仕事をできる環境になったのが3年前
くらいでしょうか。長いような・・・短いような・・・・

僕の個人的な信条では、「時効がくるまでいつかやってやる」という
気持ちはまだ消えていません。
宝くじ当たったら、また戦を勃発させるかもしれません(笑)
体力的に無理でしょうけど・・・(笑)

このように僕&ネクサス最大のピンチは周りの人達に支えられながら
結果オーライという形で乗り越えることができました。

ママさん「ところでネクサスってちゃんとこの先やっていかれるの?」
僕「今後の一番の懸念材料だ・・・」

こんな言葉におちょくられながらも(笑)環境の大変化にも対応できる
新生ネクサスをどーすっか・・・と社長は日々考え始めるのでした(^^;

To be continued
by nexus-blog | 2005-06-14 00:30 | Roots
roots (戦 Ⅰ)
とりあえず車屋として本格的にいこう♪と決断してから
約5年(仲介期間を入れたらもっと8、9年?)、順当に下積みし
いよいよ小さくても店をもたないとどうににもならない環境になり、
出店を決意。自宅・工場・店という近場で店舗を物色し始めます。
振り返るに、そこしかタイミングがなかったかな・・・と思っています。
早すぎても駄目だったろうし、遅すぎても今のネクサスの展開が
できなかったとおもうから・・・

ビンテージのレストアで培った、技術と根性(主に後者!?(笑))で
徐々に自動車といわれる(いわれていた(笑)当時)分野に在庫を
広げていきます。
それでも開店当時、ショールームに飾った「くるま」は今でも覚えて
います。ミニのジョンクーパーのカリカリ仕様とボルボの240ワゴン。
外には確かシロッコのGTIでした。
ストックにはビートルの67と13窓のバス、ナロー、ゴルフⅡGTI
パンダ・チンク・ミニのバンなど。
凄い在庫類ですね・・・(笑) 自ら「変態車屋」と自称していましたが
こういうの書くと、再認識します(^^;

でも如何せん、お金がなかったのでやりくりが大変だったのを憶えて
います(^^; 今おもうと、結局レストアや修理にお金が掛かったので
一緒だったなと思っています(笑) でも、この頃から売りたい車しか
売りたくないという概念めいたものをしっかり持っていたので、
当時は(今も(笑))全然気にしなかったかな・・・(苦笑)

お店の開店前からネクサスはHPを立ち上げていました。
今みたいにインターネットを認識している時代ではなく、HP?なにそれ?
って感じで思われていましたが、うちみたいなテイストの車屋には将来
絶対欠かせないメディアになると確信していたので、試行錯誤しながら
やっていました。
できればお店を出すなんていうリスクを負わないで、ここだけで食べて
いければいいのに・・・・なんておもっていましたしね(笑)
工場上の六畳一間を事務所に改装し(ただ絨毯ひいて電話置いただけ)
冒険野郎だったけど、無謀なことはしないたちだったので、ほんと
ぎりぎりまで店舗は持ちませんでした。

世間様に正式にデビューし、上記の在庫が思った以上に売れました。
世の中やっぱ変態している人が一杯いるんだと・・・(笑)
お陰さまで、徐々に徐々にネクサスは発展していきました。

事件勃発。
ネクサスをやりたいようにやり、それなりに軌道に乗っていた時です。
恐れいた工場の倒産という事実に直面いたします。
最初は、まさか・・・です。駄目だといわれた人でも意地でやり通す
だろうとおもっていたから。
なんと、この情報をとった時、私はバリ島で余暇の最中(^^;
ルームサービスで「さぁ~これから晩飯だ ナシゴレン ミゴレン」と
フォークを出したとき、ジリジリ~ンと部屋の電話が鳴ったわけです。
身内から「不渡りを出したらしい」との電話。凍りつきます・・・・。
急遽、翌日帰国。事件は思っていた以上に甚大でした。

私が工場に入らないという決断をしたとき、予め情報をとっていたので
まずメイン銀行に、その旨を伝えに行きます。
以後、一切関わりがないから今後の融資等は必ず事前に了承をとって
行ってくれと・・・。「当然です」この融資担当課長の言葉を信じ、一筆
とらなかったことがあとでとんでもないことまでに発展していきます。

父は共同経営者だったので、中小企業として当然の如く自宅を抵当に
ある程度の融資を受けていました。
まず銀行に行ったというのはこの件があったから。30前の小僧でも
すぐにやらなければいけないことだとすぐにわかりました。
今まで融資をしていた額と担保の額を確認し、これ以上増えなければ
リスクはないと確認したわけです。抜けといったけど、そりゃ無理です
よね(^^; もう数年すれば引き継ぐ人間の家の枠に収まると確認し、
後にしました。前述した一筆をもらわないまま・・・。

一族がいなくなり、あたふたしていた従業員とともに何をするべきかを
相談します。とても汚い潰れ方をしたので、当事者達はいなくなっちゃ
ったわけです。それこそ何十年と勤めてくれた方が何人もいるわけで
事後のことなど、血族として私だけだったので立場を超えて色々と
奔走しました。受け入れられない・・・従業員のそんな動転がある程度
おさまるまで、一ヶ月くらい掛かったでしょうか。
本当は自分が一番の被害者になるとは知らないで・・・。

ことのタイミングを見計らってか、銀行から突然呼び出しがきます。
それは心臓が飛び出るほどとんでもない報告でした。
「弁護士」さんという業種の方とは一生縁がないとおもっていました。

人生最大の「戦」が始まります。

それでもネクサスでは何事もなかったように車を売ってました(^^;
本当はこういう絶望的なプレッシャーが好きなのかな・・・!?(苦笑)
確かに自分は10年いや100年もっと早く生まれていたら良かったのに
とおもっていたし(笑) 
幕末やせめて全共闘の時代って楽しかったろうなと・・・(笑)

To be continued
by nexus-blog | 2005-06-13 00:42 | Roots
roots (決断)
この頃、頼まれた国産車などは、すいすいと納められるようにまで
成長し、違う世界を学んでいました。(如何に国産ディーラーさんの
営業が苦労しているとかですね(^^;過酷なノルマ、愛のない成績
至上主義の販売体系等です。お陰でまったく興味がなくなった(笑))
車の勉強と同時に、車の世界であるならば、自分という個性をどう
やったらいいのか・・・または満足するのか、とかを考えてしました。
出た結論が外車。俗に言う輸入車です。子供の頃よく乗せて貰った
ビートル、バス、ナロー、914、カルマンギア、縦目ベンツ・・・
自分の中で堰を切ったように、どこからか見つけ出してきて修理し、
実際に「よし♪」というところまで完成してノウハウを自然と身に付けて
いきました。すげぇ~メカの人からは嫌われたけれど(^^;(笑)
「こんなゴミ捨てて来い」「俺はやらないよ」等々、罵声を浴びながも
「そんなこといわないで生き返らしてよ~部品は僕が手配するから」
こんな駆け引きを幾度となくし、アホ道をまっしぐらに突っ走りだして
いました。

で、事件。
どんな方でも一度は通る道、「親の死」です。
末期癌であるということを医者に知らされ、それこそ蜂の巣を突いた
状態になりました。告知するべきか、しないべきか・・・・。
父は寺内貫太郎一家の親父みたいなタイプでしたから、僕だけ本人
に告知し、整理をつけさせるべきだと主張したのですが、望みがある
以上避けるべきだという大勢の意見に屈し、告知しないという決着に
なります。他界するまで2年間、病院に送り迎えを重ねていたとき、
何度告白しようとしたことか・・・・。
前述したとおり、血族でやっいた会社だったので、そっと内情を探る
ようになります。
(ちなみにネクサスはこの会社とは全然別途に経営!?してました)
いつも子供の頃から「俺がいなくなったら誰も維持できない」という
ことを聞かされていたので真意を確認するためでもありました。

30になる前の出来事なので、それこそ胃がなくなるんじゃないか・・・
というほど悩みました。
継いでもらえるのなら継いでもらいたい、この時初めてその言葉も
聞きます。くわぁ~という感じで自己と葛藤したわけです(^^;

まずは情報だということで、調べた結果を踏まえて当時の社長
(父も共同代表)と話し合います。
調べた結果は、ひどいの一言(笑)これは人生掛けてやらなきゃだめ
だという内容だったので、相手(血族)にメリットがあるよう事業の分割
を提案しました。血族のだらだらとした関係は、どうにも私は受け入れ
がたく、やるならゼロからという思いもあったので。
結果、物別れ。父には申し訳なかったけれど、私はネクサスを選択
しました。今考えると、当たり前かもですよね(^^; たかが小僧に
なにができるとおもわれても・・・。一人だけでできるとおもっていた
わけだから(笑) この脳天気!?さで生き抜いてきたわけだけど(笑)

どうせ音を上げるだろうから、それまでにネクサスを成長させ、吸収
しちゃえばいいかとひとりで結論を出し(笑)本格始動させてわけです。

いやぁ~ 車業界で生きていくのか・・・ まさかだな~ なんて
成り行きで選んだ道に自分なりにショックというか、気合を入れ
なおしました。まずは車で表現すれば良い。どんな仕事でも表現を
する方法はあるはずだ・・・。それだけを信じて。

もともと車屋さんの発想からかけ離れた視点から、車を見始めていた
ので、旗揚げした後も、誰の価値観も信じず、自分の判断だけで車を
選ぶようになりました。工場の人は、僕がはなたれ小僧の時から慣れ
親んでいたので、この決断を暖かく、時には驚愕の目で見守ってくれ
ました。そりゃそーだよな~ いきなし、ビートルだバスだ、ロータスだ
なんて持ち込んでくるんだもの(笑)みんな「・・・」でした(笑)
一人メカの人で天才がいて(今でもお世話になっています)その方と
色々やっていたわけです。車なんか一緒さ! 冷や汗流しながら
言ってましたね(笑)

入退院を繰り返し、告知から2年後、父は他界しました。
今頃墓の下から恨んでいるかもしれません・・・。
普通、一度は継ぐものな・・・あのシチュエーションだったら。

そんな選択に単純に意気軒昂にともならず、それでも自分を信じ
「ネクサス」を作っていきます。

死後四年。選択は正しかったという結論と一緒にまたまたとんでもない
事件に巻き込まれていきます(^^; ネクサス最大のピンチでした。

To be continued
by nexus-blog | 2005-06-12 00:32 | Roots
roots (流浪)
それまで陽のあたる場所で仲間とワイワイやっていたのと同時に、
内面的な世界に埋没する自分がクロスするように生まれてきた時期が
ちょうど二十歳前後の頃。まぁ、正常に青春していたわけです(^^;
陽の面としては、サークル活動で色々な企画をし、自分達の価値観を
どう表現するか・・・などに没頭しました。
ダンパやツアーなど幾度やったことか・・・。ここで得たものは今でも
役立っています。「言うはやすし・やるはがたし」 最終的な責任をとる
という重圧をひしひしと学びました。
陰の面では、大雑把に大げさに言うと(笑)「人間とはなんぞや」なんか
を含め、悶々と感じたときでもあります。むさぼるように本を読み、目が
開かなくなるほど映画を観、まるで千と千尋の顔なしみたいになんでも
放り込んで吸収しようとしていました(笑) もちろん下痢したけど。

ということで、僕の中では「車」どころではありませんでした。
巷では外車系と86系(新車で買えた時期)に別れ、フィーバーしていた
頃です。フィ フィバー!?(笑) 全然関係ないけどソウルも全盛でした。

それまで社交的だった僕は手のひらを返すように、内向的になります。
一丁前に、鯉(恋だ)までして、余裕もないのに同棲みたいな生活を
送るようになります。(こんなことまでいう必要ないか(^^;(笑))
(ちなみにその時の相手は今のママさんになります。未だに騙された
といわれているけれど・・・(笑)失礼ですよね~ まぁほんとだけど)
学生時代だから、もちろんお金がない。車も手放し、廃車寸前の車を
くるくる変えながら乗ってました。

相棒(ママさん)はそそくさと就職し(笑)、さて私はどうするか・・・と
なるわけで。
高校時代から何故かサラリーマンにはならないで、自分で何かをすると
決めていたので、何かを始めないといけないとおもったのですが、まだ
な~んも結論なんかでやしない(笑)何せ自分では哲学しちゃってたわけ
ですから・・・。今で言うとニートの走りかもですね(笑)
企画・プロデュースする仕事をしたいと今頃漠然とおもっていました。

世の中、まだ景気が良かった頃ですから、なんとかそれなりにお金を
稼がなきゃということで、結果をだせないのなら検証しようということで
色々な仕事を転々としていました。検証結果は上々だったのですが、
(興味を持った業種の成功法なんかですね<検証) そろそろ周りの
目が冷たくなってくるのがヒシヒシと伝わってきました。
一番は今のママさんなわけで~(笑) いまだもってこの頃の余韻で
プータローだとおもわれています(笑) プーですよ プー・・・40で。
ちなみに家庭内の順列は僕は犬以下みたいです(笑)
犬に確認しても「そうだ」という態度なので仕方なく納得してますが(^^;
こんど、選挙しなきゃですね。どうせ、負けるだろうけど。

ある程度落ち着いた仕事を父の会社に出入りしていた損害保険会社から
委託でもらい(結構条件が良かった) 平行してなにすっかな~とおもっていた
20代半ば。本人の興味とは別に、知人から色々と車関係の頼まれごと
が舞い込みはじめます。車探してくれ、修理してくれ、車検を安くやって
くれ等々、人の良い僕は(^^;断わりもせずそれなりに取り次いでいました。

この頃からでしょうか。販売って大変なんだとおもったのは。
車なんか壊れるなんてしらなかったので(笑)楽な気持ちで受けて探した
中古車が、実は凄いお金を掛けないとお客さんに出せないとしったのは。

なんで? 純粋な気持ちで研究をはじめます。
車はどうやって動いているのか、どういう構造をしているのか。
どういう場所が壊れやすくて、どうやって見分けるのか・・・・・

副業としてお小遣いが増えるはずが、減っていきます(笑)
根が実直なので、知っていて騙すなんてできっこない。ならばどうするか。
色々な人にアドバイスをもらい、知らず知らずにどんどんこの業界に
のめりこんでいきます。ここがネクサスの起源と言えば起源でしょうか。

どうせやるなら自分の興味の持った車をやりたいとおもい、どんどん外車の
世界にのめりこんでいきます。
知らない外車屋さんに平気で飛び込んでいったし(笑)持ち前のずうずうしさ
で色々と吸収していきました。
それまで委託で仕事をしていた割合と半々になる頃、事件が起こります。


To be continued
by nexus-blog | 2005-06-11 00:15 | Roots